生ごみは「ごみ」なのか
- 5月31日
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更新日:6月7日
先日ふと、生ごみを「ごみ」(とるに足らないもの)と言っていいのかな?と思いました。
野菜の皮は、植物が外界から身を守るための防御壁となっている、植物の命を守る、大切な部分です。
肉や魚の骨は、いうまでもなく、形を司る、大切な部分です。
人では固く食べることができないため、微生物の力を借りて分解・再生し、土に戻り、新しい命の栄養になってもらいます。
いつから「ごみ」と呼ぶようになったのか。。
戦争が終わり、昭和30年頃(1950年代半ば)からとのことです。
日本が世界的にも異例のスピードで経済発展を遂げた高度経済成長期に、物質的な豊かさの一方で、公害などの社会問題が拡大しました。
都市部で家庭ごみが多く出るようになり、プラスチックごみと分けるためにこうした言い方になったとのことです。
この活動をしていると、生ごみとなった部分は、大切な「資源」であると感じてきます。
「言葉」の持つ力は大きいため、そろそろ他の言葉に置き替えられらばな~~と個人的には思っています。
祖母のひいおばあちゃんは、江戸時代の人
もう亡くなりましたが、私の祖母は、「大正時代生まれ」でした。
祖母を育てた母親の母親のそのまた母親は、江戸時代に生まれた女性です。
江戸時代はまた電気はありません。ただ、皆さんがご存知のように、世界に誇れる「循環型社会」でした。
日本の江戸時代がなぜ世界的に注目を浴びるのか。
『江戸に学ぶエコ生活術(アズビー・ブラウン著)』のはじめに、こう書かれています。
「江戸時代の人々は、今日私たちが直面しているのと同じ問題-エネルギー、水、資源、食料、人口ーの多くを克服することに成功した。
これらの難題に取り組みながら、環境を大切にし、廃棄物を出さず、満足のいく食事を楽しみ、経済的に活気のある社会を築き上げた。そしてその社会は私たちに、時代を超えて輝きを放ち続けるすばらしいデザインと美を残してくれたのである。」
祖母は、石川県能登の山奥暮らしでしたが、美しい暮らしをしていました。
関東から私が行くと、薪をくべて食事をつくりお風呂を焚き、炭の入った掘りごたつを用意してくれました。
野菜等の残渣は、もちろん堆肥にし、畑にまいていました。
心をくだいたその暮らしぶりは、思い出しただけで、なぜか心があたたかくなります。
自分は孫にそうした豊かさを伝えられないかと思うと、非常に残念ですが、まだ少し残された時間があると思うので、できる範囲でチャレンジしていきたいと思います。


